終身雇用制度が崩壊した今、生き方を模索している人が多くなっています。そんな中、自己啓発や資格取得にも関心が高まっていますが、日本企業における学習のありかたについて興味深い見解があったので紹介します。
「博士号をとらないと管理職や役員になれません」といったシステムは、日本の役員も経営者も導入したくなかったでしょう。自分より学歴の高い女性や、他企業からの転入者が入ってきて、自分の地位を追われるのは嫌だったでしょう。アメリカだと、基本的に株主の力が強くて、「経営者にはもっと優秀で経営学修士の資格がある人材を採れ」という圧力が働くわけですけれども、日本はそういう力が働きませんでした。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/heisei/interview/interview_08.html
明治以降特に太平洋戦争後の復興では、集団での活動により先進国にキャッチアップすることが最優先。しかし、そのかじ取りをする上級職制は役得もあったわけです。そして、その権限を失えば他社に入り込んで同等の地位に就くのはむずかしいので、資格やMBAで能力をアピールして追い越しを図る奴はつぶさなければならないわけです。
朝早く銀行の入居するビルの前に行列が出来ていることがありました。ビルの開館前に並ぶ銀行員の列です。とにかく早く来て苦行に耐える人間であることをアピールしなければならない。
能力より忠誠。日本企業にはそんな儀式が多くあります。それは終身雇用、年功序列がある程度保証されていたから、あうんの呼吸で従っていた。
しかし、暗黙の約束を放棄されては社畜も生存を脅かされるので、背に腹は代えられない。
会社には階層別研修というのがあります。新入社員研修の名刺の渡し方とか、応接室での座り方とか、ビジネスをスムーズに進めるための実践的なものは良いのです。しかし、中堅向け以降にになってくると、実行すると社内で浮いてしまうような建前の話が多くなる。
だから黙って研修は受講して職場に戻っても何も実行しません。目くじらを立てずに大人の対応でやりすごす訳ですが、この手の儀式が実に多い。シリコンバレーで嫌われているという日本企業のご挨拶は典型ですが、それらの見直しの「働き方改革」も妙な方向にねじ曲がっていってます。成果主義と同じ運命をたどるでしょう。
そんなこんなで、資格取得や勉強・副業が注目されるのですが、実は金儲けに必要なのは知識ではなく野生の勘。博才。でも勉強も資格もやらないよりまし。
しかし、社内政治にだけかまけていた社畜には、知識も野生の勘も両方無い。