安倍総理から菅総理に変わっても、若者の自民党支持が続いている。これに対し、若者の革新離れを不思議に感じている人々がいるようだ。このことについて少し考えてみた。
第二次安倍内閣までは、民主党政権を含めて短命政権が続いた。そのあいだデフレ経済が続き、しわ寄せは主に新卒採用に対して大きかった。非正規雇用で賃金が抑えられた。ロスジェネといわれる世代が生じた。
ところが第二次安倍政権で就職氷河期が解消された。経団連に対しては賃上げさえ要求した。本来労働者側であるリベラルは、野党・マスコミとも迷走した。民主党政権は消費税増税で逆走さえした。
リベラルは米ソ対立の構造があって成り立っていた面がある。思想のバックグラウンドの面でもそうだが、日本社会党というかつての日本の第二党はソビエト連邦からの資金援助があったという歴史もある。ソ連が崩壊した時点で大きな構造が崩れていたので存続は難しかった。
一方自民党にはもともと超保守派からリベラル派まで抱え込んでいたので、野党支持層の受け入れ先にもなった。田中角栄のバラマキや安倍晋三の賃上げ、消費税延期はその一例だ。
以上のような背景を感じて、若い世代はリベラルをより保守なのだ。そしてリベラルの背景にいる支持層は、多くの年金収入を得て若年層の将来の年金を不安にしている世代でもある。
システム開発の分野では「アジャイル開発」が一般的になりつつある。それまでの開発の方式「ウォーターフォール」が事前に周到に計画したうえで開発に入るのに対し、「アジャイル」は部分的に着手して修正を繰り返す。
一方カリスマ ステーブ・ジョブスが禅に傾倒したのは有名だが、シリコンバレーのあるアメリカ西海岸は60年代に東洋思想をとりいれたヒッピーカルチャーの中心だった。禅は人間の「計画」など「妄想」とみなし、今を充実して生きることを推奨する思想だ。
このように長期計画的なものが有効でなくなって、刹那的な今が世の中の主流となってきている。「計画」を信仰する旧世代と、「今」を信じるしかない新生代は考え方のフレームが違う。古いフレームで考えても理解はできない。
人生100年などというものを引っ張り出して、「計画」的なものを延命させているが、シニアこそ先は長くないのだから、妄想はやめるべきではないだろうか。
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