邱永漢という「お金儲けの神様」と呼ばれる作家がいた。石原慎太郎が芥川賞を受賞した回の直木賞受賞作家だ。文壇というインテリの世界に住みながら金銭の話をしたのでかなり叩かれたそうだ。シェークスピアのベニスの商人にもあるように、商人や商人が利用する金銭は新興勢力だったため既得勢力に警戒されたのだろう。
インテリ層にとっては神のようなドストエフスキーは賭博は儲けることではなく負けることに醍醐味があると語った。金銭というのは、人間が必要なものの交換に使う道具なのに、金銭そのものをを過大に取引する賭博に何故そこまで入れ込むのだろうか。コンフォートゾーンとか認知的不協和という考え方があるが、そんな領域なのではなかろうか。
本当は金がほしくてたまらないのに、そうなってしまうと今の自分の心地よい現在を否定することになる。ドストエフスキーの場合、吝嗇で冷血な金持ちの父親を否定したい気持ちがあるのでなおさらだろう。
加えて商人は頭を下げ続けるのに対しインテリはプライドが高い。お互い相いれないところがある。文豪永井荷風は金にこだわったようだ。一度鞄を紛失したときは今の貨幣価値で2億円だかの預金通帳が入っていたそうだ。これは物書きとしてぱっとしない時期に「円本ブーム」というのが起こり、かつての著作を円本として売り出したことで大儲けしたかららしい。
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