だいぶ前に職場の作業員のおじさんが、すごくマイナーな歴史の話を知っていて驚いたことがある。
その人は学歴は低いけれど、少年倶楽部や講談などで知識を仕入れていたようだ。
学校の勉強というのは、生徒のためではなく教師や既存システムのためにある。歴史の勉強では古墳時代から学習が始まり、年号を暗記させられる。
紀元前のことなどどうでも良いし、年号の暗記など苦痛でしかない。しかし授業のカリキュラムを組み、試験を出し採点する側からは都合が良い。年号の正誤はは一発で採点できる。
カリキュラムについては、例えば身近な自分のお父さんやお爺さんが遭遇した歴史的事件なら興味も沸く。しかし、存命中の人がかかわる歴史的事実は利害関係者からクレームが来かねない。紀元前なら利害関係者なんていない。利害関係者が少ない時代から始め、利害関係者が多くなってくる現代史は3学期に割り当て、時間切れにするというのが賢明というものだ。
昔の人は講談や少年倶楽部で歴史を学んだ。わくわくする物語を通じて学んでいる。もっと昔なら琵琶法師の語る「平家物語」で歴史を学んでいただろう。
そしてその流れをうけて、現代の大人は司馬遼太郎の「竜馬がいく」、吉川英二や横山光輝またはゲームの「三国志」で歴史を学んでいる。
年号暗記で学んでいるのではない。
数学だって四則演算は身近なので良いとしても、微分積分、三角関数、行列、数列なんてなんのためなのかさっぱり分からない。
しかし、数学の理論の由来を知ると、戦争のためだったり、災害から逃れるためだったり、金儲けのためだったり実に人間臭くて興味がわく。
数学を専門とする人の多くはギャンブルに勝つために確率論と格闘したりしている。そのストーリーはほんとにおもしろい。このブログでも数学者の映画を取り上げていますので参考にしてください。