【国土強靭化】江戸のインフラ

2021年11月16日

皇居の東に位置する日比谷公園から東側はかつて湿地だった。なぜそんなところに皇居があるかといえば、江戸城は室町時代に太田道灌が作ったが、湿地側からは敵が攻めにくく、逃げやすいからだろう。その場所に徳川家康が改めて築城する。

そして家康と徳川幕府は大規模な土木工事で江戸と関東を開拓していく。

戦国時代、功績のあった武将には領土を与えるのが一番の報酬だが、分け与えているうちに領地も少なくなってくる。 織田信長は領地の代わりに高価な茶道具を与えたりした。秀吉は朝鮮出兵で領土を獲得しようとした。家康は関東を開拓した。

そういえば、鎌倉時代の新田義貞の像は府中市の分倍河原にあるし、国分寺も奈良時代に建てられたりと、江戸時代より前の歴史は東京の西部に残っている。室町時代の太田道灌は豊島氏の練馬城や石神井城に攻め込んだ。

東京で古い浅草寺、愛宕神社、日枝神社、築土神社、平河天満宮は崖のような場所にあるが、江戸時代より前は湿地帯べりの岩場だった。

大阪城も似たような立地で、上町大地というかつての半島の先端にある。その前にそこにあった石山本願寺は11年間も信長の攻撃に耐えた。秀吉はそのような戦に有利な場所に大阪城を築城した。

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