「クソどうでもいい仕事」と黒沢映画「生きる」

「ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事」を読んでいて、黒沢明の映画「生きる」はつくづく洞察力のある映画だなあと思い出した。

主人公の市役所の市民課長(志村喬)は休まないが仕事は全くしない。役所の改善のための意見書を取りまとめたことがあるが、今ではその意見書をちぎって机を拭いている。

市民課の部下は「休むと仕事がないことがばれてしまう。」と軽口をたたいている。そんなある日、主人公は胃癌になり余命が少ないことを知る。真面目一筋の主人公は残り少ない人生の過ごし方に悩み、夜の街を遊び歩く。

しかしそんなことでは生きがいを見いだせず、ある時たらい回しにしていた市民からの公園設置の陳情を思い出し、それに取組むことで充実感をとりもどして死んでいく。

主人公の通夜の場では市役所の同僚たちが主人公の仕事について話し出す。はじめは故人の思い出をしんみりと話し出すが、最後は同席した役所のトップである助役に忖度して、主人公の功績を否定する。

「ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事」

「ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事」では、現場の重要な仕事はどんどん給与が下げられ、コンプライアンスなどのどうでも良い仕事がどんどん高給取りになっていくと記述されている。処遇するためにはどうしても管理職のポストでないと給与も上げられない。そうして管理職が増え意味のない仕事が増えている。

ノーベル賞受賞者を出した日本企業は、いずれもその社員を冷遇していた。専門職で処遇という話は数十年前から出ているが、ノーベル賞を受賞するほどの能力を判断できないのでは定着する見込みはない。

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